第5話

 その日の深夜。
 町は寝静まり、暗闇に包まれる。

 私は昼間のうちに確認しておいた二階の部屋につながるバルコニーに、フック付きロープを投げつけた。狙いどおり、フックは音ひとつさせず、柵に吸いつくように絡みついた。
 何度かロープを引き、柵に固定されていのをたしかめてから、ロープに手をかけて登りはじめる。

 誰かが来るような気配もなく、簡単にロープを登りきることができた。

 ゆっくりと城のバルコニーに降り立つ。
 こうもあっさりと侵入できてしまうと、この国の警備は大丈夫なのかと心配になる。もうすこし警備に人員をさくべきだ。

 ロープを回収してから、私は忍び足で巨大な窓に近づく。中は真っ暗で、ろうそくの明かりひとつもない。どうやら部屋の住人は眠っているらしい。

 とにかく、城に入ったら赤い瞳の王子を探し、眠っているところにナイフを突きつける。
 そして、脅すのだ。
 死にたくなければ手配書を取り下げろと。そして、また同じことをしたなら、今度は容赦なく殺すと。

 私はさっそく窓をあけて城内に侵入しようと、荷物から愛用の針金を取りだし、鍵穴を探した。
 すぐに見つかった鍵穴に針金を差しこみ、音が鳴らないように気をつけながら、鍵あけをおこなう。城の鍵というだけあって、造りがかなり複雑だ。
 額ににじむ汗を袖でぬぐい、私はラストスパートをかけた。

 そして、カシャンと軽い音をたてて鍵がはずれた。その音を聞き、私は慌ててその場から飛びしさる。

 今、鍵をあけたの、私じゃない。
 私は鍵あけのとき絶対に音をさせない。

 鼓動が速まり、緊張で喉がなった。

 そして、ゆっくりと、中から窓があけられる。

「おや、気づかれてしまいましたか」

 ドクン、と心臓が脈をうつ。

「今夜あなたが来ると、占いにでていたのですよ」

 雲の切れ目から月が顔をだし、そっと男の顔を照らす。

「あんた! やっぱり、あのときの!」

 月の光を吸いこんでいるかのように黄金にかがやく髪。大きな瞳は、燃えるような赤。
 そこには、おだやかな笑みを浮かべながら、エミリアのぬいぐるみを奪った男が立っていた。

「おひさしぶりです。あなたのお名前をうかがっても?」

 やられた。私ははめられたんだ、この男に。

 一国の王が住むというのに、やけに手薄な警備。死角になる場所にある部屋。
 人の気配のしないここは、忍びこむのにうってつけの場所だった。

 唇をかみしめていると、男はすこし首をかしげて黄金の髪をゆらす。

「それで、あなたのお名前は?」
「あんたに名乗る名前なんかない」

 憎しみをこめて睨みつけたのに、男は気にしたようすもなく、やわらかくほほ笑む。

「ああ、こちらがまだ名乗っていませんでしたね。これは失礼いたしました」

 男は優雅に頭を下げ、一歩近づいてきた。

「私の名は、ルーカスです。ルーカス・キング・フォード。この国の第二王子です」

 エミリアのぬいぐるみ泥棒は、本当にこの国の第二王子だった。

「あなたのお名前は?」

 しつこくたずねてくる男を睨み、私は一歩前に出た。

「名乗るわけないでしょ! 私は、あんたに文句を言いに来たの!」
「文句?」

 不思議そうに首をひねる姿に、無性に腹がたった。

「そう! なんなの、人を勝手におたずね者にして! 今すぐ取り消して!」
「わかりました」
「いいから早く……って、え?」

 今、わかったって聞こえたような気がする。空耳だろうか。

 男、ルーカスは口もとをゆるめたまま、一気に間合いをつめてきた。
 いままでのゆったりとした動作からは想像できない身のこなしに、一瞬反応が遅れ、左腕を取られる。

「ちょっと、離してよ!」

 ルーカスの左手が、私のフードにかかった。止める間もなく、私の色を隠す砦は、あっさりと破られてしまう。
 頬に、自分の青い髪が触れた。

「みごとな青だ……」

 ルーカスの手が私の髪に伸び、指先に絡めるように巻きつけはじめる。

「ちょっと!」
「さっきのお話ですが」

 私の声をさえぎるようにルーカスは話だし、指に絡めた私の髪を軽く引く。首が前のめりになり、吐息が触れるような距離にまで、彫刻のように美しい顔がせまってきた。
 目をみはるほどの美しさに、喉がなる。

「取り消すのはかまいません。しかし、条件があります」
「条件?」
「はい」

 月の光を反射するほどのまぶしい笑みに、嫌な予感が駆けぬけた。
 生きるものの本能というべきか、養われた盗賊の勘というべきか、私は身を引いて警戒しながらルーカスを見つめた。

「なに、簡単なことですよ。あなたが、この城にとどまればいいだけです」
「なっ……!」

 それは、どう考えても受け入れられるはずのない提案だった。

 私は、手配書を取り下げてもらい、アンドリューたちとふたたび平穏な暮らしをするために来たのだ。それが、この城にとどまるなど、天地がひっくり返ろうともありえない。

 思いきりルーカスの頬を打とうと手を伸ばした。だが、私の手は空をきる。ルーカスは余裕の笑みで、私の平手うちをかわしたのだ。
 そして、私がたたらを踏んでいると、うしろから私に近づいてきて、動きを拘束するかのように、私の腰に手をまわしてくる。

「私は、どちらでもかまいませんよ」

 首だけふり返り、睨みつけた。
 暗闇に浮かびあがるその顔は、ぞっとするほど美しい。まるで、この世のものではないみたいだ。

「ですが、あのぬいぐるみ」

 エミリアのぬいぐるみのことだろう。

「子ども向けのものでしたね」
「それがなに」
「そして、あなたは、わざわざ手配書を取り消すために、ここにきた」

 すぐうしろが崖で、今まさに突き落とされるような恐怖が、足のさきから湧きあがってくる。
 嫌な汗がこめかみを流れおちた。

「迷惑をかけたくない方がいるのでは?」

 心臓が大きく跳ねた。

 アンドリュー、エミリア。盗賊団のみんな。
 私の大切な、家族。

 誰ひとりとして、危険にさらしたくはない。
 そしてこの男は、私の弱みをわかっていて、それを的確に突いてきている。

 私には、はじめから選ぶ権利などなかったのだ。

 手のひらに爪が食こむほど強くこぶしを握りしめた。私はたしかに敗北を感じていた。

 この世には、どうしようもできないこともあるのだと、そう突きつけられた気分だった。

「……私がここにとどまれば、手配書は取り下げてくれるのね?」
「ええ。私は、嘘はつきませんよ」

 悔しくて、奥歯を噛みしめた。
 頭脳明晰、剣術の達人。どちらも嘘ではなかったようだ。私はこんなにもたやすく捕まってしまった。思いあがっていたのがバカみたい。

 ルーカスを鋭く睨みつけ、うしろから指に私の髪を巻きつけているその手から、乱暴に髪を引きぬく。

「そんなに力いっぱい引くと、傷んでしまいますよ」
「うるさい!」

 いろんな思いが爆発した。

「話しかけないで。あんたみたいなの、大っ嫌い!」

 私は、アンドリューたちとこれからも過ごしたかった。だからここまできた。

 なのに、その結果がこんなだなんて、そんなのあんまりだ。

 足に力が入らなくなり、この世の終わりだとばかりに崩れ落ちた私を、ルーカスの手が支え、前から包みこむように抱きしめてくる。

「ああ。泣かないでください」

 幼子をあやすように、骨ばった手が私の後頭部をなでていく。
 頬に触れた布は、いままで触ったどんな布よりも、やわらかかった。

「少々横暴だったかもしれませんね。すみません。でもあなたは、自分のことをわかっていないようなので」

 耳に心地よい低音が、すぐそばで聞こえる。
 なにも聞きたくないと耳をふさぎ、悔し涙をながした。

「……すべてが終わったら、帰ってもかまいません」
「え?」

 小さな声だったが、たしかに聞こえた。

「だから、どうか、泣かないでください」

 なめらかな指先が私のまぶたに触れた。
 私の顔をのぞきこんできた瞳は、血にまみれたような、おぞましい赤をしていた。

「さあ、ひとまず部屋の中に入りましょう。体が冷えてしまいます」

 ルーカスはほほ笑み、私の手をうやうやしくとった。嫌々ながらもその背中につづく。

「私は、これから牢屋に連れて行かれるの?」
「え?」

 首だけふり返り、目を丸くするルーカスを見て、首をかしげる。

「あれ、違うの?」
「あなたは本当に、なにもわかっていないのですね」

 呆れたような物言いに、すこしムッとした。

「私がぬいぐるみを盗ったから、その腹いせに手配書を配ったんでしょ」

 口を尖らせると、ルーカスは苦笑いを浮かべ、ゆるく首をふった。

「それは違いますよ」
「じゃあ、どうして」
「あなたは、水の巫女という存在をご存知ですか?」
「水の巫女? 知らない」
「まあ、そうでしょう。この話はすこし長くなりますので、また明日にしましょう。それより、さあ、部屋の中にお入りなさい」

 やさしく背中を押され、私はためらいながら部屋の中に入った。
 部屋の中はほのかに暖かく、夜風で冷えた体をゆっくりと温めていく。ルーカスがテーブルの上のろうそくに火を灯したのが見えた。部屋の中は、ぼんやりと明るくなる。

「ここは、あなたの仮の部屋です。急でしたので、あいにく部屋の支度が間にあっていないのです」
「え、ここ、私が使っていいの?」

 牢獄に行くつもりでいた身からすれば、こんな立派な部屋がもらえるとはおどろきだ。
 私は盗賊団の一員であり、この男におたずね者にされるような身分だ。今まで見たこともないような豪華な部屋に、すこし戸惑う。

「ええ、もちろんですよ。明日、また迎えにきます。くれぐれも、逃げだしたりしないように」
「……わかってる」
「逃げた場合は、手配書の取り下げはなかったことにさせてもらいます。ああ、捜索隊も派遣させていただきますので、そのつもりで。それでは、おやすみなさい」

 かんたんに抜け落ちたりしない太い釘を私の胸に突き刺して、ルーカスは部屋を出ていった。

 とたんにどっと疲れが押しよせる。軽く息を吐きだし、部屋の中を見まわしたところで、ふたたび扉がひらいた。

「な、なに?」

 驚いて扉に視線を向けると、そこにはさきほど出ていったばかりのルーカスがいた。

「ああ、すみません。驚かせてしまいましたか? どうしても、ひとつ、うかがっておきたいことがありまして」

 ルーカスはそう前置きをして、ゆっくりと歩み寄ってくる。私の前でピタリと止まり、すらりと伸びた指で私の頬にふれる。

「あなたの名前、教えていただいても?」

 そのためにわざわざもどってきたのかと、すこし呆れた。

「……ローゼリッタ」
「ローゼリッタ。素敵な名前ですね」

 名前を褒められたのがうれしくて、つい口もとがほころぶ。

「みんなは、ローゼって呼ぶ。好きに呼んで」

 ゆるんだ顔を見られないよううつむきながら、そっけなく答えた。

「それでは、ローゼ。また明日。おやすみなさい」

 ルーカスは流れるような動作で私の青い髪に口づけを落とし、すこしほほ笑むと部屋を出ていった。
 違和感を感じさせないルーカスの仕草に、あっけに取られる。育ちが違うというのを、まざまざと見せつけられた気がした。
 しばらくルーカスの出ていった扉を見つめ、私は自分の髪をつまみあげる。

「明日、髪洗わなきゃ」

 ため息をつきながら、盗賊団のアジトのベッドとは似ても似つかない、豪華な布団の中にもぐりこんだ。