第2話

 それは数日前のことだ。

 10歳未満の子たちのひとりに、エミリアという女の子がいる。
 その子が毎日抱いていた黒猫のぬいぐるみがなくなってしまったという、小鳥が足をつつくようなささいな事件だ。

 なんでもそのぬいぐるみは、エミリアが最後に親から渡されたものだという。
 ぬいぐるみを渡すくらいなら子を捨てるなという私の声は、当然だがとどかない。
 私からすれば、捨てた親がくれたものなんて忌々しい思い出として、すぐにでも燃やしてしまえと思うけれど、そうは思わない子も盗賊団の中にはいる。

 その親にどういう事情があったのかはわからない。
 もしかしたら家が燃えただとか、借金で首がまわらなくなったとか、いろいろあるのかもしれない。

 それでも、私は子を捨てる親を、親とは認めない。

 エミリアはこの盗賊団に来てからも、毎日黒猫のぬいぐるみを抱いていた。
 それを持っていれば、いつか両親が自分を見つけてくれるのではないかと、そう信じているかのようで、私はすこしだけ悲しかった。
 だって、ここのみんなを、私は本当の家族だと思っているから。

 エミリアに「あなたは捨てられたんだよ?」と問いかけるのは、とても簡単だ。
 だが、誰もそれを口にはしない。そういうのは、大きくなるにつれ、自分で理解し、選択をすべきことだからだ。

 大きくなって、それでも両親に会いたいなら探せばいい。捨てたことを理解するようになったなら、それでもいい。

 この盗賊団は、人の選択を阻害したりはしない。
 生きていくのは自由なのだと、それを体現したいのだ。

 たとえ本当の親に見捨てられた命だろうと、選ぶ自由がある。選択する権利がある。

 だから私は、忌々しい思い出のぬいぐるみなんて燃やしてしまえと思っていながらも、泣きながら探すエミリアを突き放すことができなかったのだ。

 エミリアのぬいぐるみがなくなったのは、その日の朝方だった。

 その前日、エミリアはこのアジトの目と鼻のさきにある、コンセッタという町へ行っていた。
 アンドリューたちは、幼い子を家の中にいさせるよりも、いろんな人や物に触れあわせることを推奨している。だから、エミリアをふくめた何人かの子たちは、交代で町の買いだしにつきそっているのだ。

 そして、エミリアは十日ぶりの町での買い物がとても楽しかったらしく、帰ってきたあとのことをよく覚えていなかった。

 朝、目が覚めたら黒猫のぬいぐるみが消えていたと、そういうわけだ。

 私たち盗賊団がアジトとしている洞窟は、コンセッタという町へとつながる街道をわずかに外れた、崖に囲まれた場所にある。
 街道につながる小さな道一本をのこし、あとは絶壁だ。と言っても、崖には多くの足がかりがあるので、登るのはそう難しいことではない。
 現に私は、ひとりになりたいときは崖を登る。めんどうごとを押しつけられそうなときなんかは、いい逃げ場となるからだ。

 アジトとなっている洞窟自体は自然につくられたものだが、私たちはそれをさらに広げ、洞窟の中とは思えない広大な空間で生活をしている。
 私はエミリアの黒猫のぬいぐるみを探して、アジトの中をくまなく歩きまわった。散らかって
いるものをどかし、手のあいているの子の助けも借りたが、けっきょく見つけることはできなかった。
 となると、エミリアは、昨日行った町の中か、町へ行く道にぬいぐるみを落とした可能性が高い。

 いつもならば、町へ行くのは他の人に任せるのだが、この日は運が悪かった。とっても悪かった。

 私以外の大人に分類されれるだろう16歳以上の子が、アジトの中に誰もいなかったのだ。

 なんでも、この近くでたびたび商人を襲っている山賊の居場所がつかめたとかで、アンドリューをふくめた強い者たちは朝早く出かけてしまっていた。
 山賊がいなくなれば商人が襲われる危険もなくなるし、商人から奪ったお宝があるかもしれないしで、一石二鳥だ。
 そろそろ調味料が尽きかけていたから、私はのんきに、調味料の調達を頼んでアンドリューたちを送りだしたばかりだった。

 しばらくどうするべきか迷ったが、失くした黒猫のぬいぐるみを思い、ひたすら泣きつづけるエミリアを見て、私は町へ向かうことを決意した。
 長いウェーブした髪をまとめあげ、フードのついた上着で目立つ青を隠した。そして、私のつぎに歳が上の男の子にお守りをたのみ、私はひとり、町へ向かって歩きだした。

 町へ行く途中の道には、黒猫のぬいぐるみは落ちていなかった。
 一度町を見て、人にたずねてみても見つからなかったら、保留にしてアンドリューの指示をあおごう。

 私が町へとついたときには日は高くのぼり、町はにぎわいを見せていた。
 コンセッタの大通りの道は、石畳で整備されている。町全体の屋根が植物を思わせるような緑色で統一され、実際の露店では花々が多く売られている。
 この町は、南からくる暖かな空気と、西からの湿った空気の関係で植物が育ちやすい。
 町のいたるところで景気のいい声が響き、売買がおこなわれている。

 この町から街道に沿ってまっすぐ行ったさきがこの国の首都でもあるため、物流も悪くない。王都からあらゆる珍しいものが集まる。
 王都にくらべれば貧相かもしれないが、国境が近いこともあり、国全体で見れば片手に入るくらいにはにぎわっている町だ。

 私はフードが外れないよう気をつけながら、地面を縫うようにすすんでいく。繁華街、住宅街、裏町、あらゆる場所を見たが、黒猫のぬいぐるみはどこにもなかった。
 もしも本当に町に落としていたのだとしたら、ゴミと間違われて捨てられてしまったのかもしれない。
 私は最悪の事態を想定し、エミリアになんと伝えるべきか考えながら、石畳の道をひたすら歩いてまわった。

 しばらく歩くと、日がかたむきはじめる。
 さすがに疲れたのでひと休みしようと、大通りから外れた脇道にはいり、適当に座れそうな階段を探した。
 やがて階段を見つけた私は、そこに人が腰かけているのに気づいた。あまり人通りのない場所を選んだはずだが、先客がいることに驚いた。
 しかたなくほかの場所を探そうときびすを返したところで、そこで座っている人物の手もとが視界に入った。

 なんとその人物は、黒猫のぬいぐるみを持っていたのだ。

「ねえ、ちょっと!」

 私はためらうことなく声をかけた。
 黒猫のぬいぐるみを見つめていた人物は、私の声に気づいたようで、ぬいぐるみから視線をはずし、私を見つめた。

 目が合い、私は驚いた。

 その人物は、燃えるような赤い瞳をしていた。
 黄金のようにかがやく金髪をサイドでゆるく束ね、肩からたらしている。赤い瞳を縁どっているまつ毛は長く、スッと通った鼻筋に、うすい唇。彫刻のように整っている顔をしていた。

 あまりの美貌に、男なのか女なのか、一瞬迷ったほどだ。だが、よく見ると無駄な肉のない精悍な顔つきをしていて、その体つきも、女のようなしなやかさはない。

「私のことですか?」

 ゆったりとしたおだやかな声だったけれど、その声は低く、成人した男性のものだった。

「そう、あなたのことよ、あなた! ねえ、それ、どこで手に入れたの?」
「それ……ああ、このぬいぐるみのことでしょうか?」

 にこりと笑顔を浮かべ、男は手の中にある黒猫のぬいぐるみの右手をあげた。

「そう、そのぬいぐるみ! で、どこで手に入れたの?」
「これでしたら、さきほどココで拾いました」
「じゃあそれ、落ちてたの⁉︎」
「はい」

 興奮してつめよる私に、男はおだやかに笑ってうなずいた。
 間違いない。あれはエミリアのぬいぐるみだ。エミリアのぬいぐるみは、捨てられずにココにあったのだ。まるで主人を待つ犬のように。
 これでエミリアが泣くこともなくなるかと思うと、肩の荷がおりたような気がした。

「そう。それ、私の知り合いの子のものなの。悪いけど、返してくれる?」

 私は男に手を突きだした。
 男はしばらく私の手をジッと見つめ、やわらかな笑顔でこう言った。

「なぜ?」と。

 なぜと問われる意味がわからない。私は知り合いの子のものだと言った。持ち主が探しているのだ。そこは大人しく返すのが筋だろう。

「だから、それ、私の知り合いの子のものなの!」
「コレは、さきほど私が拾いました。もう私のものです」
「はあ⁉︎」

 とんでもない屁理屈が飛びだし、口の端が痙攣する。

「なにより、これがあなたの知り合いの子のものだという、証拠はありますか?」

 にこりと笑う男に殺意が芽生えた。
 返せと言っているのだから大人しく返せ。

「私はあの子がそれを持っているのをずっと見てたの! それが証拠よ!」
「そんなものはいくらでも捏造できます。証拠にはなりませんね」

 殺す!

 私の中の殺意がムクムクと膨れあがっていく。人が下手に出ていればいけしゃあしゃあと。ひらりひらりと避ける、風のようにつかみどころのない男だ。私は、こういう男が大嫌いだ。

 男を睨みつけていると、男は緩慢な動作で首を横にたおし、黒猫のぬいぐるみをひとなでする。

「それに今日、占いにでたのです」
「は、はあ? 占い?」

 目の前の男が、とたんに胡散臭い男に見えた。
 眉をひそめる私を尻目に、男は黒猫のぬいぐるみの両手を上下させながら、うれしそうに笑う。

「今日、黒猫のぬいぐるみが幸運をもたらす、ラッキーアイテムだと」
「占いなんか信じるなんて、馬鹿じゃないの?」
「おや、占いはあたりますよ。なにより、こうして黒猫のぬいぐるみを私は拾った」

 なにも言いたくない。この男と関わるのが嫌だ。だが、エミリアのぬいぐるみは取り返さねばならない。

 私は、盗賊だ。
 だから奪った。

 男から、エミリアのぬいぐるみを。

 私はぬいぐるみに狙いをさだめると、素早く地面をけった。間合いをつめ、男の手からスルリとぬいぐるみを抜きとる。
 男が驚いたように真紅の瞳を見ひらいたのを見て、思いっきり舌をだした。
 男の手にとらえられるまえに、ふたたび地面をけり、大きく飛びあがる。壁をけり、反動をつけて屋根に飛びのった拍子に、風にさらわれフードがとれた。
 頭のてっぺんで束ねた青い髪が、頬をかすめていった。

 急いでフードをかぶったが、時は遅し。
 大きく目を見ひらいている男と、目があう。
 男は口を半分あけ、片手を私に伸ばした格好で固まっていた。顔がバレてしまった以上、逃げるが勝ちだ。
 私は微動だにしない男をおき去りにし、屋根の上を駆けだした。

 そうして私は、泣きつづけるエミリアのもとに、黒猫のぬいぐるみを返すことに成功したのだ。