3思い出した記憶

 今世の私の名。
 今あるこの記憶が正しければ、リィル。

 リィル・クラッド。

 それが私の名であるはずだ。

 なんの変哲もない、ごくごく一般的な幼女のはずであった。記憶さえ思い出さなければ。

 私の今までの人生。それは!

 ……海の、中。

 そう、海の中で、私は暮らしていた。

 今まではそれが当たり前だったから、なんの疑問も持たずに生きてきた。なんなら、「陸の人間は海で息ができないなんて、なんて貧弱?」なんて思っていたくらいだ。
 今思い出すと、地中の底に埋まりたいくらいには恥ずかしい。

 だが、ここがマンガ、ドリームバードの世界であると気づいてしまった今、もっとも恐るべきなのが、私が海の一族だということだ。

 『海を渡るの禁止!』という法律をつくり、世界を牛耳っている、主人公たち渡り鳥の敵になるだろう一族。

 海の御三家。世界の王。

 それが、私の生まれたクラッド家。

 のちに滅亡の一途をたどる、破滅の一族である。

 未来に絶望した瞬間、私の目は覚めた。

 どうやら、熱をだして、ベッドに放りこまれていたらしい。
 まあ、幼い体にあれだけ膨大な量の記憶が流れこんでくれば、熱のひとつやふたつも出るだろう。キャパオーバーだ。私の頭はまだ、小猿のように小さいのだ。

 たくさん流れてきた記憶。あれはきっと、前世と呼ばれるものに違いない。平々凡々な家庭。平々凡々な毎日。ごはんを食べて、寝て、マンガを読んで、特にこれといって特別なことはなかったけれど。
 でも……私は、間違いなく、幸せだった。

「会えるものなら、もう一度会いたいメタねぇ」

 大好きだった家族。口うるさいお母さんに、能天気なお父さん。極めつけは、とってもラブリーな弟。蔑むような目をしながら、あれこれと世話を焼く弟のかわいいこと。って、あれ? そういえば、前世の私って、なんで死んだんだっけ?

「うぅむ、思い出せないメタ〜」

 なんで死んだんだ。というより、ドリームバードが完結した記憶もない。まさか、まさかっ、ドリバが完結する前に死んだ!?
 そんなぁ……最後まで見たかったのに。
 でも最後の結末なら、なんとなく予想できる。そう、ドリバの主人公である、カルト・ジークエンスが、海の一族を倒すのだ。勇者が魔王を倒すように、正義が悪を滅ぼすのはマンガではよくあること!
 なにせ海の一族は残忍で、自分大好きな選民主義。擁護のしようがない。

 だが、いずれ破滅するとわかっていても、私はまだ、死にたくない!
 サクッと死ねるならまだしも、万が一、万が一「楽に死ねると思うなよ?」なんてことになって、一枚一枚爪をはがされたりしたら……ひぃぃ、それは嫌だ! 拒否する! 私は断固拒否するぞ! 自分を抱きしめて布団の中でまるまる。

 どうしよう、どうしよう。
 どうすれば生き延びられる?!

 せっかく生まれたなら、夢に見るほど憧れたドリバの世界を満喫したいし、できることなら痛い思いなんてしたくない。それが、当たり前の欲望だ! なにせ、記憶を思い出した私は、争うのも痛いのも嫌な、まさに現代っ子。
 私は、己の欲に忠実に生きると誓ったのだ。たった今。

 なにか生き延びるヒントになるものはないかと、必死に記憶の扉をあけていく。頭の中にある膨大な記憶の中から、どうにかドリバのことを引っ張り出す。

 あれ、そういえば……ドリバにリィル・クラッドなんて出てきたっけ?
 ううむ、覚えていない。そもそも、海の一族はマンガでもチラッと出てきただけだったから、謎の部分が多いのも事実。
 世界を支配する悪役ということしかわからない。

 そもそも、私は本当にリィル・クラッドなのだろうか。記憶があるような気がしているだけで、ココは前世だと思っている私の部屋、とか。死んでなんかいなかった、とか。
 体を起こし、部屋を見まわして、数秒。私は察した。間違いない、ここは私の記憶のリィル・クラッドの部屋。畳100畳はありそうな広さに、ベッドにはどこぞのお姫さまみたいな天蓋ッ! 天蓋付きベッドって憧れだったんだよね。かわいいよね。まるでプリンセスになった気分。
 念のためほっぺたをつまんでみた。痛かったから夢でもないらしい。

 悲しいことに、これは現実のようだ。

 ひとまず広すぎるベッドの上を這って移動し、ぺたりと裸足の足を冷たい床につける。
 目の前を、小さな黄金の魚が横切った。
 げげ、この魚は! 記憶を思い出す前の私が、買って買って〜とわがままを言って、南の黄金魚を無理矢理持ってこさせたんだ。
 
 間違いない。魚がいるってことは、ここは海の中。私の記憶は間違ってなどいない。
 そして、私の記憶が正しいってことはっ!
 今までの私はとっても横暴なワガママ娘! 陸の者を見下す、まさに金持ちの箱入りプリンセス!

 ゴクリと唾をのむ。

 まずい、まずいぞ。このままだと、私はきっと、主人公、カルト・ジークエンスに討ち滅ぼされる。

 いいや、まだわからない。私の記憶すべてが正しいのか、確認しなくては。私は部屋にある、巨大な鏡に視線を向ける。
 いざ、行かん!
 地を蹴って、ひとっ飛び。大きな鏡の前に立つ。心臓を落ちつかせて、そぅっと、視線をあげた。

 ダークブロンドに、透き通るような紫の瞳。
 見覚えのある顔……というか、この9年毎日見てきた私の顔だ。ということは、やっぱり私の記憶は正しい?! 私は海の一族に生まれてしまったのか?!

 海の一族は、いうならば王族。だけど一国の王とか、そんなかわいいものじゃない。
 世界の王だ!
 ドリバはまさに、悪に世界征服をされたあとの世界。海の一族ではない人たちは、さぞ生きにくいことだろう。

 今までならそんなことカケラも考えもしなかったけれど、私は思い出してしまったのだ。

 この世界には、主人公と呼ばれる男がいると!

 うぁああ、私は痛いのは嫌いだ! 打たれるのも撃たれるのも斬られるのも、燃やされるのも嫌だ! 生まれてまた死ぬなんて、あんまりだ!

 ふと、鏡の中の自分の顔を見て、真顔。
 私の顔は……顔は……いいのだろうか。せっかくなら美少女として、女を売りにして主人公を懐柔するのもありだ。私の命は保証される。
 ぺたりと手を鏡につけ、グッと顔を寄せる。
 上、下、ななめ右、左ななめ下。最後にビシッと指を顎にあて、鏡に向かって決めポーズ。
 うーむ。それなりの顔をしているような気もするけれど、この顔を見つめて9年。感覚なんて狂ってしまっている。
 前世の私の感覚からすると、白人っぽい顔立ちをしてると思うけれども、そんなこと言ったらこの世界の人はみんなそんな感じだ。この世界の基準で、私は美少女か否か。考えてみれば、私はあんまり外に行かないし、基準がさっぱりわからない。

「どうせなら美人に生まれたかったメタねぇ」

 くるくると指先を長い髪に絡めて、ハッとする。私は、今、なんと?

 無意識にあの言葉を……例のあの言葉を、使った気がする。
 そう、女の海の一族だけが使うという、『メタ』という、あの言葉を!

「いやぁあああ!」

 もうダメだ! 切腹するしかない! こんな仕打ちあんまりだ! 私がなにをしたというのだ。

「リィル! どうしたクワッ!?」

 ひぃいい、クワ? クワだと?! なんだその変な語尾はっ! だれだそんな変な言葉を使うのは! 私はおそるおそる指のすきまから扉を見た。ぐぁ、私の父親だ! 今世の私の父だ! 食べすぎでお腹がぽっちゃりしている、残念な父上だ!

「リィル! リィル、しっかりするクワッ!」

 やめてくれ、アヒルみたいだ!

「お父上さま、私は大丈夫メタ」

 ああ、恥ずかしい。メタを使って話さなければいけないなんて。そして私は、今までそれを普通に使っていたなんて!
 過去の私は、マンガにそれが出てきたとき、馬鹿にして笑っていたというのに、いうのにっ!

 ああ、どうして私は海の一族なのだ……。

 普通こういうものって、憧れの人とか、主人公とか、未来のヒーローの近くに生まれるもののはずだ。
 時を超えたり、世界を超えたりする、よくあるマンガだと、ヒロインとヒーローは巡り会う運命。第一話から、はじめまして! キュンッ! をするんじゃないの?!

 私は主人公ではないとっ?!

「リィル、リィルしっかりするクワ!」

 肩を揺さぶられて、目の前にある肉肉しい顔を見る。

「大変だクワ! 死んだ魚みたいな目をしてるクワ!」

 それはとんでもない悪口だ。

「まあ、そんなことないメタ。私は元気メタ」

「本当クワ? 父上は心配だクワ」

「大丈夫メタ」

 大丈夫だから早く私の肩から手を離してくれ。脂ぎっていてなんか嫌だ。

「変なものでも食べたクワ? 落ちてるものは食べたらダメだと教えたクワ」

 そんなことも言ってたな。だけど、いつもいつも落ちているものを拾って食べているわけではない。見たことのないおいしそうなあめ玉があったとき、たまたま、たまたま口にしただけだ。
 まあ、そのあとお腹を壊したんだけれど。あれは貝のお腹の中で固まった、毒素の結晶だと知ったときは、もういっそ死んでしまいたいと思ったが。

「なにも食べてないメタ。それよりお父上さま、私は着替えるメタ。レディの着替えをのぞくなんて、肉親でも許されないメタ」

「そうだったのかクワ。だけどリィル、今日はなるべく安静にするだクワ」

「わかったメタ」

 適当にうなずき、私の心配をしてきてくれたらしい父上を追い出したあと、私は考えた。
 どうすれば生き延びられるのか。どうすればルイスに会えるのか。下心なんてモリモリだ。下心がなければやっていけない!

 そして考えて考えて、私は眠っていた大切な記憶を思い出す。

 かつて羽ばたいた空を、寂しそうに見あげる背中。

 憧れのルイスのいる、シルバーボーテン一派の崩壊。

 それを、思い出してしまったのだ。