第22話

「ローゼ。ローゼリッタ」

 やがて、甘く低い声が耳の奥をなでていく。

「もういいですよ。攻めてきた者たちは、すべて縄にかけました」

 固くつむっていた目をひらくと、私をのぞきこむように見つめてきてるルーカスの顔があった。

「終わった?」
「はい。町に被害はありません。町にいる駐屯兵たちに、この者たちは預けます」
「そう」

 大雨を降らせたからか、目の前がくらくらする。足がもつれ、よろけた瞬間、たくましい腕に支えられる。

「疲れましたか?」
「うん。これ、けっこう疲れるんだよね」
「そうでしたか。すみません」
「べつに平気。ルーカスこそ、お疲れ」

 ルーカスの腕を借りながら、ルーカスを見あげた。

 ルーカスは、いつものほほ笑みではなく、目じりを下げ、うれしそうに笑顔を浮かべていた。

「ちょうどいいです。このまま南へ下り、グランシード王国に雨を呼びましょう」
「え?」
「さあ、宿へもどりましょうか」
「え、えっ、ちょっと! まさか今すぐ!? 鬼!? 休憩は!?」

 疲れると言ったはずなのに、ルーカスはとんでもないことを口にする。

 必死に抵抗したが、ふらつく私をルーカスは軽々と抱きあげ、歩きだした。

「え、ちょっと! あの不審者たちは!?」

 ルーカスの肩ごしに、床に伸びている、ところどころ焦げている人たちを指さした。

「気を失っているので、しばらく起きませんよ。駐屯兵を向かわせますので、問題ありません」
「そこは最後まで責任もってよ!」
「ローゼは細かいことまで気を配りますね」
「え、それ皮肉だよね?」
「さあ、どうでしょうか」

 私を横向きに抱いたまま、ルーカスはしっかりとした足取りで宿へ向かった。

 すこし、機嫌がいいのだろうか。いつもよりも楽しそうだ。
 ルーカスの鼻歌でも歌いだしそうな顔を見て、私はしかたなく、その手に体をあずけた。

 宿へもどると、ルーカスは本当に休む時間も与えてくれず、荷物をまとめだした。

「ねえ、本当に行くの? 早くない? すこし寝ようよ」
「ローゼ、干ばつは深刻なのですよ。今日みたいな輩が湧いたら、どうするのです?」
「そう言われると……もう、わかったよ」

 口ではかなわないと、私は早々に白旗をあげ、荷物をまとめる。

 けっきょく、はじまりの町には一泊もすることなく、私たちはふたたび馬へと乗ったのだった。

 私とルーカスは、はじまりの町、コンセッタを出て、水の巫女が住んでいたという美しい湖へとやって来ていた。

 大規模な火事があったと聞いていたとおり、その地は焼き払われていた。だが、輝くような水は健在で、その地には新たな生命が芽吹きはじめていた。

「この地も、新たな木が生まれたようですね」
「きれいなところだね」
「はい、昔は、もっと美しい土地でした」
「そうなんだ」

 湖のほとりにたたずみ、ぼんやりと水面を見つめる。

 水の巫女の一族が住んでいた場所。
 私の生まれた土地かもしれない場所。

 感慨深いような気もするけれど、やっぱり私の故郷は、アンドリューたちのいる洞窟の中のアジトだ。

「雨、呼べますか?」
「うん。大丈夫」

 私は、ルーカスと知りあって、今までにない感情を知った。

 今までの私の世界は、アンドリューたちだけだったけれど、ルーカスと出逢い、それは広大な空のように広がっていった。

 今なら私は、この世界を、この国を、素晴らしい平和なものにしたいと、そう願うことができる。

 胸の前で手をくみ、大きく息をすって、空に向かって言葉をつむぐ。

「あなたの声は、美しいですね」

 私のとなりに立ったルーカスが、空を見つめ目を細めた。
 湖を隔てた土地に、暗雲が立ちこめる。やがてそれは、大粒の涙を流す。

 この雨は、どこまで続くだろうか。
 南の果てまで続くだろうか。

「グランシード王国も、すこしは安泰でしょうか……」

 憂いているような表情を浮かべるルーカスは、この世界を愛しているのだろう。
 本人に自覚はないのかもしれないが、ルーカスはこの国のことを思っているのだと、私は思う。

 ひとしきり雨を降らせ、目の前がぼやけはじめる。めまいがし、声が途切れた。

「大丈夫ですか?」
「うん」

 これ以上は無理だと判断したらしいルーカスが、ゆるく首をふった。

 そして、私に向かって深々と頭をさげる。

「あなたのおかげで、国は救われました。ありがとうございます」
「そういうの、いいよ。でも、約束どおり、手配書は取り消してね」
「もちろんですよ」

 ルーカスのその返答を聞いて、笑いかけた。

 雨は降らせた。これで私の役目は終わりだ。

 ルーカスと一緒にいるのも、もう終わりだ。

「そろそろ、城へもどりましょうか」
「うん。そうだね」

 盗賊団へ帰ったら、たまにこの場所に来て雨を降らせよう。

 そうすれば、きっとこの世はすこしは良いものになる。

「ローゼ、行きますよ」

 差しだされた手のひらに、手を重ね、私とルーカスは馬に乗り、お城までの道のりを歩みはじめた。

スポンサーリンク