第20話

 私はルーカスに気まずい思いを抱いていた。

 平然とキスしていいかと尋ねたルーカスの胸の内を、ぜひとも聞いてみたい。

 そんな悶々とした思いを抱える私とは違い、ルーカスはいつもと変わらず、のほほんとした雰囲気で私の部屋をたずねてくる。
 どんな神経をしているのだとルーカスを睨んだことは、一度や二度ではない。

 そして今日もまた、ルーカスはいつものほほ笑みを携えて、私の部屋をたずねてくる。

「ローゼ、今日は執務が早く終わったので、庭園を散歩でもしませんか?」

 ルーカスは部屋の中まで入って来ずに、そう口にした。

 ルーカスが私の部屋をたずねてくるのは、寝る前の時間帯が多い。今日はまだ日が出ている。ここのところ忙しそうにしていたが、今日はそうでもないのだろうか。

「いいけど……」

 答えながらルーカスの顔を見つめた。
 クマなど体の不調を訴えるものはないが、相当疲れているはずだ。早めに切り上げて休ませたほうがいいかもしれないと考えていると、ルーカスが歩み寄ってきて、私の手をうやうやしくとる。

「では、参りましょう」

 いつもよりもうれしそうに笑っているように見えて、けっきょく私はなにも言えないまま、静かにうなずいたのだった。

 ルーカスの案内で、城の敷地の内にある、広大な庭にやって来た。
 石畳の道に沿うように、丁寧に四角く切り揃えられている木が並んでいる。ところどころ細い水路が通ってきて、透きとおるような水のせせらぎが心地いい。

 緑と青。そこに色をつけるように、赤や白や黄色などの鮮やかな花々が尊大に咲き誇っている。もうすこし奥へすすめば、以前サルタスと窓からながめた薔薇園があるらしい。

 この城は、王都のど真ん中にあるが、城の周りが水路で区切られているという、素人には進入しずらい構造になっている。そしてその水路から流れてくる水が、この庭園をより豊かなものにしているようだった。
 吹きぬけた心地よい風を大きく吸いこみ、体を天に向かって伸ばす。

「気に入りましたか?」
「うん、そうだね。私、自然はけっこう好きなの」

 もともと洞窟の中で暮らすという、自然とともに生きているような生活だったため、城の優雅な毎日はすこし退屈だ。

 私はやっぱり、もとの生活にもどりたい。だけど、そうしたらルーカスとはお別れだ。

 胸の奥に小さな針が刺さったような気がして、となりに立つルーカスを盗み見る。日の光に照らされ、キラキラと輝く黄金の髪がまぶしい。光を遮断するために、すこし目を細めた。

「ローゼ?」

 ルーカスが視線だけで私見つめる。

「なんでもない! 行こ!」

 ルーカスの赤い瞳は、ときどきゆらめく炎のように見える。燃えさかる炎は、そのまま身を焦がしていくようで、見つめ続けるのをためらってしまう。

 ルーカスをおいて、ひとり走りだす。青い髪が大きく空に伸び、外に出れたことを喜んでいるように見えた。

 手入れのされつくされている庭を走り、やがて見えてきた白い柱で作られているガゼボ。鳥かごのように天井が丸みをおびていた。
 備えつけられていた白い長イスに腰かけ、膝を抱えながら鮮やかな風景を楽しむ。すこし遅れて、ゆったりとした足音が耳にとどく。

「ローゼ、うれしいのはわかりましたが、急に走りださないでください」

 とがめるような声にふり返り、ルーカスを手招きする。

「まあまあ、ルーカスも座りなよ」
「しかたのない人ですね」

 苦笑いを浮かべながらルーカスは私の右となりに腰かけた。

 ルーカスと並んで座るというのはあまりないのだが、やけに距離が近い気がしてすこし左にずれる。わずかに空いた空間を、ルーカスがつめてくる。またすこし左にずれるが、それをまたルーカスが埋める。

「ちょっと、つめてこないでよ」
「なぜです? なにか問題でも?」
「いや、だって、狭いでしょ」
「さあ、私はとくにそうは感じませんが」

 口もとにいつものほほ笑みを浮かべながら、ルーカスは風を感じるように目を細めた。

「嫌な男」
「心外ですね。私はこんなにローゼに尽くしているというのに」
「……白々しい」

 じっとりとした視線を送ったが、ルーカスは見向きもしない。けっきょく、私が折れるしかなかった。

 ルーカスと触れあう右半身を意識しないようにしながら、すこし体の力をぬく。

「おや、疲れましたか?」
「疲れてるのは、私じゃなくてルーカスでしょ」
「私はまだ若いので、体力は有り余っていますよ」
「どう見ても私のほうが若いけど」

 ルーカスはその立ち振る舞いからか、大人びて見える。本当の年齢は聞いたことがないのでわからない。

「ルーカス何歳?」
「私は20です」
「えっ、もっと上かと思った」
「よく言われます」

 ルーカスの顔をまじまじと見つめる。
 アンドリューと同じくらいかと思っていたが、違ったらしい。王子ともなると、こんなに優雅な立ち振る舞いが身につくのだろうか。

「そんなに見つめられると、キスしたくなりますね」
「はい!?」

 心臓が驚いて飛びあがる。

「な、な、なっ……」

 ルーカスは体ごと私の方に向き、手を私の頬にのばしてくる。

 全身の血液が沸騰しているように熱い。
 触れられた頬に神経が集まっているみたいに、ルーカスの手の感触が伝わってくる。首をすくめ、目をとじたところで、慌ただしい足音が響きわたった。

「ルーカス様!」

 体がのけ反り、イスから落ちそうになったところをルーカスの腕に支えられる。

「大丈夫ですか?」
「う、うん。ありがとう」

 いつもよりも速い脈をきざむ胸に手をあてて、ルーカスから距離をとった。

 ルーカスは苦笑を浮かべ、すぐに凛々しい表情をして背後をふり返る。そこには、ひとりの兵士がいた。

「なにごとですか?」
「はっ、グランシード王国、第一王子がお目通りをしたいと」
「……シエルが?」

 ルーカスは眉をよせ難しい顔をして立ちあがった。

「すみません、ローゼ。急用ができてしまいました」
「いいよいいよ。あ、私、まだここにいるから」
「そうですか。わかりました。それではまた」

 足早に去っていくルーカスの背中を見つめる。

 今、グランシード王国の第一王子と言っていた。王子自ら来るほど切羽詰っているのかもしれない。ルーカスは、国の状況とかを私に言わない。なら、自分で探るしかない。

 私は、盗賊だ。

 静かに立ちあがり、私はまだかすかに見えるルーカスの背中を追った。

 ルーカスは真っ直ぐに自室へもどった。
 しばらく扉の前で悩み、私も自室へともどる。

 私とともにこの城にやってきた道具のなかから、針金を取りだし、私は窓からバルコニーへと出た。私とルーカスの部屋はとなり同士だ。つまり、バルコニーの柵を飛び越えれば、私はルーカスの部屋へ行ける。

 ひさしぶりの仕事に腕がなる。

 唇を舌でなぞり、私は柵を飛び越えた。

 ルーカスの部屋はカーテンが引かれていて、中を見ることはできなかった。
 しかたなく、耳を窓によせ中の音を探る。耳に全神経を集中させるつもりで、会話をうかがいながら鍵あけをおこなう。
 聞き取りづらいが、ルーカスと知らない男性の声がする。

「盗賊が?」

 ルーカスの声に心臓が跳ねあがった。
 よく聞こうと、さらに耳を押しつける。

「南の干ばつが深刻なんだ。国民は王都に集まってきているが、国から外れた者たちが他国の侵略を企てている」
「なるほど」
「続々と人数が集まってきているようだ。動き出すのも時間の問題だろう」
「わかりました。ですが、盗賊となれば、あなたの責任ではありませんよ」
「だが、ルーカスに伝えねばならないと思って。俺には、それくらいしかできない」
「まったく。まあ、助かりますが」

 会話の内容は殺伐としているはずなのに、どこかなごやかな声だ。他国と親しいというのも本当らしい。

「民を傷つけるようなら、焼き払います」

 ルーカスの声が変わった。

「それが、私の存在する意味なのです」

 どういう意味なのだろうか。

 考えている間にも、中の会話はすすんでいく。

「すまない、ルーカス。俺もできるかぎりの助力はするが……」
「今は国も大変でしょう。無理をなさらなくて大丈夫です。あなたは知らせてくれた。それだけで十分です」
「すまない、ありがとう」

 話は終わったようだ。私は鍵あけに集中する。

 それよりも、今の話で気になることがあった。
 南から来るという盗賊団の集団だ。

 グランシード王国から、このファイミリア王国に来るなら、アジトの近くを通る。
 そして、私たちの盗賊団は、盗賊をカモにしている。あのアンドリューのことだ。変な輩を見過ごすはずがない。

 鍵が外れる手ごたえがした。私は窓を大きくあけ放つ。カーテンが風にさらわれ、中の視線が私に突きささる。

「今の話、くわしく聞かせて!」
「ローゼ?」

 ルーカスが私を見てほんのすこし顔を引きつらせた。

「あなたは……なぜ窓から?」
「あいてた」
「嘘を言わないでください」
「まあまあ、それより、今の話だけど」

 ルーカスの視線を受け流し、私は見たことのない人物へ近づく。浅黒い肌に、艶やかな黒髪。すこしつり上がった黒い瞳は凛々しさを感じる。

「青い髪に、青い瞳?」
「私はローゼリッタ。みんなはローゼって呼ぶ。よろしく」

 いぶかしげに見つめてくる黒い瞳に笑いかける。

「俺はシエルだ。シエル・クリード。グランシード王国の第一王子だ」

 差し出された手を握りかえすと、うしろから腰に手がまわってくる。

「ローゼ、部屋にもどりなさい」
「今の話、くわしく聞いたら帰るよ」

 首だけふり返り、私の体を引いたルーカスを見つめる。ルーカスはすこし眉をあげ、私を見下ろした。

「どこから聞いていたのです」
「南から敵が攻めてくる、ってとこくらい」
「ほぼ最初からですね」

 ルーカスは諦めたようにため息をついた。

「わかりました。あとで話すので、今は部屋にもどってください」
「え、どうして」
「どうしてもです」

 ルーカスは横目にグランシード王国の王子、シエルを見つめた。私もシエルを見つめる。

「シエルがどうかした?」
「……いえ、とにかく、あとで部屋にうかがいます。大人しくしていてくださいね」

 ルーカスに無理やり歩かされ、そのまま締め出された。

 すぐにでも話を聞きたかったが、ルーカスは話すと約束をしてくれたし、ここは一旦身を引こう。私は部屋に引き返すことにした。

 部屋にもどると、マリーが泣きながらすっ飛んできた。

「ローゼリッタ様ぁ。どちらへ行かれていたのですか! 私は、心配で心配で」
「あー、ごめんね。ルーカスのところに行ってた」
「ルーカス様のお部屋に? そうでしたか。それなら安心です」
「安心って?」
「ルーカス様はお強いので、もしも危険が及んでも守ってくださいますから」
「ふーん、強い、ね」

 あののほほんとしたルーカスが強いというのは、いまだに信じがたい。だが、ルーカスの体つきや、身のこなしから手練れであることは予想がつく。
 いったい、ルーカスはどのくらいの強さを秘めているのだろうか。

「あ、ねえマリー」
「はい。なんでしょう?」
「今時間ある? あったらまたトレーニング付き合ってくれない?」
「ローゼリッタ様は運動がお好きですね」

 マリーはふわりと花のようにほほ笑んで承諾してくれた。

 しばらくすると、扉がノックされた。返事を返すと扉がひらく。入ってきたのは予想通りルーカスだった。

「なにをしているのですか」
「見てわかるでしょ、トレーニング」
「トレーニングというより、それは馬跳びでしょう」
「だって、ここには崖はないからね」
「……崖?」
「あ、ううん。なんでもない」

 首をふって、付き合ってくれていたマリーにお礼を言う。

「それより、話でしょ?」

 ルーカスを座るようにうながすと、マリーがすぐにお茶の用意をしてくれる。湯気の立ちのぼるカップが目の前におかれると、マリーは一礼をした。

「ではローゼリッタ様、私は外にいますね」
「うん。ごめんね、いつも」
「いえ、それが私のお役目ですので」

 笑顔で首をふるマリーを見送り、扉がしまったところでルーカスを見据える。

「で、ズバリ聞くけど」
「はい」
「どうするつもり?」

 ルーカスは答えず、ただほほ笑んだ。

「ごまかすつもりなら、この部屋から出さない」
「おや、私はかまいませんよ」
「……いいから話して」

 睨むとルーカスは苦笑し、カップに手を伸ばした。ひと口ふくみ、軽く息を吐きだしてから私を見つめる。

「どうするも、ローゼが盗み聞きしていたとおりですよ」
「盗賊団はどうするの?」
「町にたどり着く前に返り討ちにします」
「戦うってこと?」
「はい」
「軍を引き連れて?」
「いえ。兵はおいていきます。彼らには兄上とともに城の警護を任せます」
「意味がわからない」

 ぴしゃりと一蹴する。
 ルーカスは肩をすくめたが、すぐに居住まいを正し、私の目をまっすぐに見つめてきた。

「話を聞いたかぎりですと、彼らは貧しく、たいした武装もしていないそうです。それならば、兵など率いずとも、私ひとりで十分です」

 自信満々に言いきったルーカスは、優雅なほほ笑みを浮かべながらも、その目に強い光を宿していた。
 しかし、さすがにひとりというのは無謀ではないだろうか。どれだけの人数がいるかもわからない。

「なんです? その顔は」
「ルーカスって、そんなに強いの?」
「ええ、まあ、それなりには」

 具体的なことはなにも言わないところが、すこし怪しい。

「それで、明日情報を集め、明後日には城を立ちます。ローゼのことは兄上に頼みますので、そのつもりでいてください」
「それなんだけど」

 行動は早いほうがいい。ルーカスも意外と行動派なようで、ウマが合う。

 ニヤリと笑いながら、ルーカスの手をつかんだ。

「私も行く」

 ルーカスの真っ赤な瞳が大きく見ひらかれる。

「なにを言っているんですか。連れて行けません」
「べつに連れて行かなくていいよ。勝手について行くから」
「ローゼ」
「悪いけど、私もゆずれないの。南からこの王都に来るまでの道に、私の大切な家族がいるから」

 ルーカスがグッと押し黙ったのを見て、唇が勝手に弧をえがきだす。

「私も行く」

 それが決め手になったようで、ルーカスは深いため息とともに脱力した。

「危険ということ、わかっていますか?」
「それなりに。大丈夫。一応戦えるから。兵士がついてきたと思ってくれていいよ」
「そんな風に思えるはずがないでしょう。なにかあったら、私があなたを守ります」

 包みこむように手を握られた。大きな手は、立派な男の人のもので、ゴツゴツと骨張っている。

「明日、荷物をまとめてください」
「わかった」
「南へ行くには馬に乗ります。ローゼ、あなた乗馬は?」
「え、と……すこしなら……」

 視線を横にそらす。冷や汗が流れ落ちた。

「乗馬はできないようですね」

 私のせいいっぱいの強がりなどお見通しのようで、ルーカスは冷静な指摘をする。

「と、得意じゃないだけで、一応乗れるから! 置いていっても歩いてついて行くからね!」

 置いていかれるのかと思って、椅子から立ちあがり必死にうったえる。

「そんなことは言っていませんよ。ローゼは、私の前に乗ってください」
「連れて行ってくれるの?」
「家族がいるのでしょう?」

 向けられた瞳に、自然と口がゆるむのがわかった。

「うん!」

 それからその日は、馬でかけていくルートを確認した。歩いて十日はかかった道のりも、馬ならば三日足らずで行けるらしい。

 それよりも、ルーカスは本当に兵士を連れて行かないつもりなのだろうか。
 そしてそれを安易に許すなんて、この国は大丈夫なのだろうか。

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