第17話

 ルーカスと町へ出てから、数ヶ月が経過していた。

 一度町へ出てからというもの、私の生活はすこしだけ変化していた。

 ルーカスと会話を重ね、町へと繰り出しては王都の珍しいものや、甘いものを堪能するという、どこぞの貴族のような生活だ。
 私は優雅な生活とはほど遠い、盗賊という悪党の身分だったはずなのに、人生とはなにが起きるのかまったく予想ができない。

 小さくため息をつき、手もとにあるカップを引き寄せ、その水面をのぞき見た。

 不自由のない生活。その日食べるものの心配も、敵襲に合う心配もない。
 だけど同時に、私の大切な人たちの顔を見ることもない。

 顔をあげる。私と同じようにカップに手を伸ばしていたルーカスと目があった。ルーカスの目じりがかすかにゆるむ。

「ローゼ」

 耳に残るような甘い声が、私の名を呼ぶ。それから逃れるように、私は目をふせ、ふたたびカップを見つめた。

 ここで過ごすようになってからの私の一番の問題は、ルーカスを憎いと思わなくなってしまったことだ。

 ルーカスと時を過ごせば過ごすほど、私の中にあるルーカスに対する感情に、変化が生じはじめる。
 ルーカスのことを冷たい人だと思っていたのに、ルーカスの人となりを知っていくうちに、そうではないのかもしれないと、そう思うようになった。

 ルーカスは孤児院を建て、子どもに手を差し伸べる。さらに、ルーカスは子どもたちに学問を学ばせる機会を与えていた。
 ほかの町では、捨てられた子どもは死に行く運命だ。助けなどない。
 私だって、アンドリューに助けられたのは奇跡のようなものだ。アンドリューに救われなければ、私はきっと、ここにはいない。

 その大恩人であるアンドリューと同じことを、ルーカスは行っているのだ。

 そして、ルーカスはいずれ、国全土に子どもの支援を広めていきたいと口にした。
 もしもそれが叶ったなら、救われる子はどれだけいるのだろうか。盗賊団に来る子たちのような思いをする子は、ひとりもいなくなるのかもしれない。

 手もとのカップをすこしゆらす。ゆらめく水面に、吸いこまれそうになる。

「ローゼ? どうしました?」
「べつに、なんでもないよ」

 そっけなく返事をすると、静かにカップをおく音が聞こえた。
 私がこの城に来てからの日課と言える、ルーカスとの夜のお茶会。その日あったことを話したり、町の名物の話をしたりするくらいだが、おかげでルーカスに対する嫌悪感は綺麗さっぱり失われてしまった。
 これもきっと、ルーカスの策略というやつなのだろう。

「なんでもないはずがないでしょう。なにがありました?」

 今日はやけに追及がしつこい。まったく話を聞いていなかったことに、気づかれたのだろうか。

「最近のあなたは、うわの空でいることが多いですね」

 図星をつかれ、手がふるえてカップのなかの水面が波紋を広げる。

 目の前にいるルーカスの赤い瞳が、私の手もとを見つめてかすかに細くなる。
 瞳は燃えさかる炎のような赤だというのに、その目に宿る雰囲気は冷たいつららのようだ。

「なにを考えているのです? そんなにあなたを夢中にさせるものが、私は心の底から羨ましい」
「なに言ってるの」
「なにがあったのか、言えませんか?」

 ルーカスは赤い目をすがめたまま、私に向かって手を伸ばす。いつものように毛先に触れ、指先に私の髪を巻きつけはじめた。青い髪が、ツタのようにルーカスの指に絡んでいく。

「……家に、帰りたいのですか?」

 射抜くような瞳で見つめられ、息をのんだ。

「申しわけありませんが、あなたを家に帰すことは、できません」

 ルーカスはきっぱりと言い切った。口をはさむすきもない、跳ねのけるような言い方だった。

「あなたには、雨を呼んでいただかなくてはならない」

 その言葉に、胸の奥が痛んだ。チクリと、小さなトゲが突き刺さる。

 雨を降らせる。

 私は、そのためだけにいるのだから。そのために城にとどまっているんだから、ルーカスの言葉はなにもおかしくない。

 なのになぜ、胸が痛いのだろう。

「ローゼ、雨を呼んでください」

 懇願するような声でルーカスは囁き、私の髪に触れた。その瞬間私は、乱暴にルーカスの手を払った。

 自分でもそうした理由がよくわからなかった。

 ただ、私は……。

 雨を呼びたくないと、そう思ってしまったのだ。

 手を払われた瞬間、ルーカスは一瞬寂しそうな表情をしたが、それはすぐにあとかたもなく消えていった。感情の読みとれない赤が、まっすぐに私を見つめてくる。

 私とルーカスの間の空気に緊張が走る。目を合わせ、静かに睨みあった。

「あなたには、雨を降らせていただかなくてはならないのです。もう、時間がないのですよ」

 ルーカスは小さな声でそうつぶやいた。ルーカスは私を見つめていたが、やがてゆっくりと席を立った。

「あなたは疲れているのかもしれませんね。今日はもう、休んだほうがいい。私も部屋にもどります」

 ルーカスは言いながら、扉のほうへと歩きだす。
 ふり返ることのない背中が、いつもよりもひとまわり小さく見えた。

「おやすみなさい、ローゼ」
「おやすみ、ルーカス」

 去っていく背中を見送り、扉がしまったのと同時に深く息をはきだしてテーブルに突っ伏した。脱力感に目をとじたところで、扉のひらく音が聞こえた。

「まあ、ローゼリッタ様。そのようなところでお休みになられてはお体に障ります」

 すぐに駆けよってきたマリーに目を向ける。

「おやすみになるのでしたら、ベッドへ移動してくださいませ」

 マリーにうながされるままに私は立ちあがる。ベッドへと向かって歩いていると、心配そうな顔をしたマリーが私のとなりに並んだ。

「ローゼリッタ様、なにかありましたか?」
「なにもないよ。どうして?」
「いえ、ルーカス様も元気がなかったようでしたので」

 一瞬だけ寂しそうな顔をしたルーカスが思い浮かんだ。すぐにかぶりを振って、それをかき消す。

「すこし、疲れてるのかも。ごめん、もう寝るね」
「はい、ごゆっくりとお休みください」

 マリーに片づけを任せて、ひとり布団のなかにもぐりこむ。

 ルーカスは雨が降ることを望んでいる。
 そして私は、アンドリューたちのいる家に帰りたい。

 私が雨を呼べば、私は家に帰れるし、ルーカスは問題解決するしで、すべては丸くおさまると言うのに……なぜ。

 なぜ私は、雨を呼ぶのが嫌だと、一瞬でも思ってしまったのだろうか。

 胸の奥にうずまく気持ちから目をそらし、マリーの食器を片づける音を聞きながら、私はゆっくりと目をとじた。

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