第10話
はじめてのダンスレッスンを終えた夜、部屋でマリーの淹れた紅茶を飲みながら足をマッサージしていると、軽いノックが響く。
マリーが対応しつつ部屋を出ていったのを見て、私は誰が訪ねてきたのかすぐにわかった。
「ローゼ」
案の定、部屋に入ってきたのはルーカスだった。ルーカスが来るとマリーは部屋を出ていく。
なぜかはわからないが、城のメイドというのはそういうものなのかもしれない。
ルーカスは私のそばに歩みよると、視線を下げて私の足を見つめる。
「おや、疲れてしまいましたか?」
「かかとの高い靴がどうにも合わないの」
「ああ、あまり履いたことがなかったのですね。靴擦れなどは?」
「平気。私の皮膚、頑丈だから」
下手をすると裸足で歩いたりしているくらいだ。靴擦れをするような、やわらかな肌はしていない。
「そうですか。ダンスはどうでした?」
「けっこう楽しかった」
「ローゼは運動神経がいいようですからねぇ。この城に登ってくるくらいですから」
ルーカスは口もとに笑みを浮かべながら、私の手前のイスを引いた。どうやら居座るつもりらしい。ルーカスが長居するなんて本当は嫌なのだが、今日は体を存分に動かしたこともあって、気分がいい。話し相手がほしいと思っていたのだ。
「そうだ。あの変な講師はルーカスが呼んだの?」
「オズワルト婦人でしょうか?」
「そう。オズワルト講師」
「ええ、そうですよ。彼女は優秀でしたでしょう?」
優秀と言っていいのかとても危ういが、たしかに踊れるようになったので文句はない。
「あとは、あの人。サルタス」
「ああ、兄上ですね。ローゼのパートナー役をやりたいと、今朝申し出てきましたよ」
「え、やっぱりそうなんだ」
「はい」
あの無愛想な男が自ら名乗りでるなんて、どういう事態だ。
「あのふたりは、美しいものと、かわいいものが好きなのです」
「……はい?」
聞こえた理解しがたい言葉に目をまたたく。
「とくに兄上は、かわいいものがお好きなのですよ」
「えっ、あんな顔で?」
「見た目などは、あまりあてにはなりませんよ、ローゼ」
おっしゃるとおりなのだが、にわかには信じがたい事実だ。あの鋭いナイフのような顔で、かわいいものが好きだなんて。
「兄上も似合わないとわかっているようですので、隠してらっしゃるようですが、部屋にぬいぐるみがいくつか置かれていますね」
「そうなんだ」
とてもファンシーな趣味だ。ぜひとも一度、サルタスが部屋にいるところを見てみたい。今度部屋に進入してみようか。
「ローゼが盗ったあのぬいぐるみも、実は兄上にプレゼントしようかと考えていました」
「えっ、そうだったの?」
「なかなかにかわいいものでしたので」
そういう理由があったのか。だが、だからと言って幼いエミリアのぬいぐるみを盗るのは感心しない。
エミリアは、ぬいぐるみがないと泣きわめいていたのだから。一国の王子なのだから、そこは拾ったものではなく、新しいものを買うべきだ。
「あ、そういえば、あのとき言ってた占いって、なんのこと?」
「ああ、アレですか。あれは兄上が行っているのですよ」
「えっ……」
まさかあの顔で占いまでしているなんて、なかなかに変な男だ。
「兄上が黒猫のぬいぐるみがラッキーアイテムだとおっしゃったので、プレゼントしたかったのです」
「ああ、そういうことね」
なんだかいろいろ繋がった。
頑なに黒猫のぬいぐるみを渡したがらなかったわけも、なぜぬいぐるみなんか欲したのかも。
そういえば私が城に進入したときも、占いがどうとか言っていた。だからサルタスは私のことを知っていたのか。
しかし、もとを辿ればすべての元凶はサルタスということになる。
あの男がぬいぐるみを趣味にしていなければ、私は今ごろここにはいなかっただろう。
ムカムカする気持ちを押し流すように、紅茶を口に含んだ。
「すこしはこの国に興味を持っていただけたようで、うれしいです」
ルーカスが、ごく自然に笑みをたらした。紅茶がのどに詰まりそうになって、むせ返る。
「どうされました? 大丈夫ですか?」
ルーカスが慌てたように私のそばに寄り、背中を軽くたたいてくれる。咳きこみながら、大丈夫だと首を縦にふった。
まさか、またあんな笑顔を見せるなんて。油断していた。
「慌てて飲む必要はないのですよ」
おだやかな声に違うと文句を言いたかったが、それは咳と一緒に外へ吐きだした。言うべきではないと思ったからだ。なにより、ルーカスは自分の笑みの強烈さに気づいていないだろう。
彫刻のように美しい顔が笑みを浮かべると、それは凶器となるのだと、私は身をもって体験した。
「疲れているのかもしれませんね。今日は早く休むのがいいでしょう」
「う、うん。そうする」
「……もうすこしお話ししたかったですが、それはまたにしますね。ローゼ、ゆっくり休んでください。おやすみなさい」
ルーカスは私の髪をひとふさとると、軽く口づけを落として部屋をでていった。
私は誰もいなくなった部屋で、ルーカスが口づけを落とした髪をつかみ、軽く拭って深いため息をついた。