第8話

 ルーカスの目をまっすぐに見つめて、私はルーカスの懇願をはねのけた。
 ルーカスは苦笑いをし、私の顔に手を伸ばして頬をひとなでする。

「この近辺の国が滅んでも、かまわないと?」
「残念だけど、私はお国とは縁遠いところで生きてきたの。国は、私たちを助けてはくれない。私も、助ける義理はない。私が生きてほしいと願うのは、私の大切な人たちだけ」
「そうですか……」

 ルーカスはさみしそうに笑って顔をうつむかせると、やがて吹っ切れたように立ちあがった。

「あなたがそこまで焦がれるものが、いったいなんなのか、とても興味が湧きました」
「え?」
「あなたの出生、目撃情報をくまなく調べます。あなたの胸の内に住む焦がれるものがなくなれば、あなたは心置きなくココにいられるはずです」
「なっ!」

 意味を理解して、ルーカスの手をつかんだ。
 この男は、私の大切な家族を人質にすると、そう言っているのだ。この城から出れば殺すと、暗にそう言っている。私は、脅されているのだ。
 強く唇を噛みしめ、ルーカスを睨みつけると、ルーカスは赤い瞳を挑戦的に細め、口角を持ちあげた。

「どうされました?」
「……卑怯な男。あなたみたいなの、大っ嫌い!」
「昨日も、あなたは同じことを言っていましたね」

 ルーカスは首をかしげ、黄金の髪をゆらす。

「あなたにどれだけ恨まれようと、譲るわけにはいないのですよ。ローゼ、あなたは雨を呼べるはずです。力を貸してくだされば、どれだけ私を恨もうと、それでいい」

 冷たい男だと思った。顔には絶えずやさしげなほほ笑みがあるというのに、心の中は氷の湖のように冷えきっている。

「最低」
「あなた以外の者では、この事態に手も足もでないのです」
「だからって、こんな卑怯なやり方……!」
「卑怯であることは承知の上です。ですがあなたは、とても頑固なようですので……こうでもしなければ、私の願いなど、聞いてくださらないでしょう?」

 ルーカスの手が私の髪に触れる。もてあそぶように髪を指先に巻きつけ、ルーカスは赤い瞳で、私を見下すように見おろす。

「言うことを聞いてください。そうすれば、なにもしません」

 悔しい。こんなに惨めな思いしたのは、はじめてだ。国という大きな力にねじ伏せられ、一介の盗賊である私では手も足もでない。

「あなたはっ、そんなにこの国が好きなの?」

 国にいい思い出なんてない私からすると、不思議で仕方がない。頭をさげるほどの価値があるのか、まったくわからない。
 ルーカスは私を見つめ、ふわりとやさしげなほほ笑みを浮かべた。

「好き嫌いではないのですよ。この国の利になるように動く。それが、私の生まれた意味なのです」

 やさしい顔にまったくそぐわない言葉に、口をぽかりとあけた。

 好き嫌いがない、機械のような男。
 それが、この国の第二王子、ルーカス・キング・フォードという男なのだ。そういえば、町の酒場で王子は妃を娶らないと聞いた。

「あなた、人を好きになったこととかないの?」
「私に害のない方は、みんな好きですよ」

 ルーカスの返答に絶句した。
 まさかそんな言葉が返されるなんて思ってもみなかった。

「特別好きなひととか、できたことないの? 家族とかは?」
「家族は大切ですよ。ですがそれでも、国に仇をなすとなれば、私はためらうことなく剣を向けます」
「……そうなんだ」
「まあ、ないとは思いますが」

 私がアンドリューたちに向ける思いとは違うのだろう。だって私は、なにがあってもアンドリューに剣を向けるなんてできない。私の育ての親であり、私の道しるべだからだ。

 ルーカスは、こんなに大きな城で、一国の王子としてもてはやされているというのに、とても……孤独な男だ。

 ルーカスはなにか考えているかのような顔をしていたが、やがて顔をあげ、私の瞳をのぞきこんでくる。

「ですが……私は、できればあなたに剣を向けたくはありません」
「え?」
「だからこうして頼んでいるのですよ、ローゼリッタ」

 甘く囁くような声で、ルーカスは私の鼓膜をなでる。

「あなたの大切なものを、今すぐここに連れてくることなど、私からすればとてもたやすい。ですが、私は……」

 ルーカスは困ったようにほほ笑み、膝をついて私の顔を下からのぞきこむ。鼻先が触れそうな近さに、目を見ひらいた。

「あなたの涙を、見たくはないのです」

 目の下を、やさしくなぞられた。

「……なにそれ」
「私にもわかりません。今も、さきほどあなたとマリーの会話が聞こえたので、この部屋に来てしまったのですよ」

 私とマリーの会話……涙が宝石のようだという、あの恥ずかしいやり取りを聞いていたのだろうか。盗み聞きは盗賊の基本だが、実際にされると居心地が悪いものだ。

「ローゼ。あなたは不思議だ。はじめて会ったあの日、あなたの青い瞳に魅せられ、私はいともたやすく、あなたにぬいぐるみを奪われてしまいました」

 ルーカスとはじめて出会った日を、ぼんやりと思いだす。
 たしかにあの日、ルーカスの動きは鈍かった。だが、昨日は別人かと思うほど俊敏な動きをしていた。変だとは思っていたが、まさかその理由が私の青い瞳を見たからだなんて、誰が思うだろうか。

 私の左手に、骨ばった指が絡みついてきた。おどろいて手を見つめると、ルーカスは赤い瞳をさらに私に近づける。動けば、唇が触れてしまいそうだ。身を引こうとした私の頭のうしろに、大きな手が滑りこんできて、そのまま拘束される。

「ちょ、離れ……」
「あなたが必要なのは事実です。ですが私は、あなたの心に住みつくなにかに、ひどく怒りを覚える。なにもかもを焼き払ってしまう前に、どうか、ここにとどまってくれませんか?」

 ルーカスの瞳が、燃え広がる炎のように見えた。絡めとられた指先が、ジンジンと熱を持つ。まるで、本当に燃えているかのようだ。

「わ、わかった」

 そう答えるしかなかった。そうしなければ、この男はその瞳に宿る炎ですべてを焼きつくすのではないかと、そう思った。

「そうですか。安心しました」

 ルーカスは胸をなでおろし、肩の力をぬいてほほ笑んだ。
 ルーカスの大きな手がゆっくりと私の頭から離れる。ドキドキと鳴り響く胸に手をあてて、私は必死に動揺を隠す。

 ルーカスの赤い目が、本当に燃えているように見えた。そんなはずないのに。

「でも、すべてがすんだら、帰っていいんでしょ?」

 チラリとルーカスを見つめ、確認する。
 昨日の夜、ルーカスはそう言って私をなだめた。だから、どんなに嫌でも雨を降らせたなら帰れるはずだ。

 こうなれば、サクッと雨を呼んで帰ろう。

 私の決意とは裏腹に、ルーカスはきょとんと目をまたたかせ、軽く首を横に倒した。

「そんなこと、言いましたか?」
「なっ、昨日言ったでしょ! 帰っていいって! だから泣かないでくれって!」
「さあ、忘れてしまいました」

 入りこむ隙間などない、完璧なほほ笑みという名の壁が向けられる。
 帰してくれないのなら、なにがあっても雨は呼ばない。私はそう固く決意した。雨を呼んでほしければ帰せと、そう脅しをかけて交渉しなくてはならない。

 目で刺すつもりで鋭く睨んだが、ルーカスは目があうと、気のぬけるほほ笑みを浮かべた。

「ああ、そうでした。ローゼ、一週間後に、あなたのお披露目パーティーを開く予定です」
「えっ、なにそれ」

 おどろいて、ルーカスの顔を凝視する。
 お披露目パーティ? 盗賊の私には無縁の言葉だ。いったいなにをお披露目するというのか。
 私の引きつった顔を見たのか、ルーカスはにこりとほほ笑む。

「あなたに害を与える者が出たりしないよう、貴族たちを呼んで見せつけるのですよ」
「貴族?」
「ええ。この国にも一応貴族はおりますからね。他の国から見たら貴族と呼べるのかも微妙かもしれませんが」

 まずい。ルーカスの口にする意味がまったく理解できない。
 そもそも私は盗賊だし、アンドリューも国のことなんてあまり教えてくれなかった。王子が赤い瞳だということも知らなかったくらいだ。
 この国のことなんてなにもわからない。

「え、ま、待ってよ。パーティ? なにそれ。聞いてない」
「今言いました」

 腹が立って顔面を殴り飛ばしたくなった。それをグッと堪えて、引きつる顔を向ける。

「そんなの、必要あるの?」
「貴族たちはよそ者に敏感なのですよ。なので、私が招いた者だと知らせておく必要があるのです」
「でも、大げさじゃない?」
「ローゼリッタ。無駄な悪あがきはおやめください」

 我慢できずにこぶしを向けた。しかし、それはスルリと絡め取るようにルーカスの手に受け止められてしまう。

「ダンスの講師をつけます。あなたは、少々品性に欠けているようですので」
「悪かったね」

 ひくりと頬が痙攣した。

「そしてそのあと、この国を案内します。あなたのその目で、この国を見ていただきたい」

 ルーカスの指先が、私の髪に巻きつきはじめた。ルーカスはよく私の髪に触れるが、私はとても不快だ。気安く触れてほしくない。
 ルーカスの指を見つめていると、ルーカスは私の髪を軽く引いて口づけを落とす。

「雨を呼ぶには、心がともなっている必要があると、そう記されていました」
「えっ、そうなの?」

 はじめて聞く事実におどろいた。
 ルーカスは目を細め、すこし怪しげに笑う。

「……やはり、雨が呼べるのですね」

 慌てて口をおおったが、手遅れだった。

「まあ、それはわかっていましたので、かまいません。要は雨を呼んでいただきたいのですが、今のままでは望みはないようですので」

 私はだまって視線をそらした。図星だったからだ。心から願う必要があるというのは知らなかったが、思いかえしてみれば、たしかに今まで必死に祈っていた気がする。

 そして私は、心からこの国のために祈れないのだ。

 私は捨て子であり、この国に恩も感謝もない。あるのは、アンドリューたちと引き離されたという憎しみのみ。
 国の平穏なんて、願えるはずがなかった。

「……わかった。協力してもいい」
「そうですか。それはよかった」
「だけど、心から願えるようになる保証はない。私は、あなたが大嫌いだから」

 挑むようにルーカスの目を見つめた。ルーカスは一瞬だけ目を伏せ、すぐにいつものようなほほ笑みを浮かべる。

「わかりました。ですが、ひとつだけいいですか?」
「なに?」
「あなたなどではなく、名前で呼んでください」

 懇願するような瞳が向けられ、しぶしぶ口をひらく。

「ルーカス」

 小さな声でつぶやくと、ルーカスはほほ笑みではない、人を惹きつけるような満面の笑みを浮かべた。ドキンッと、心臓が魚のようにはねた。

「様をつけられないのも、なかなか新鮮ですね。それではローゼ、また明日来ます。明日からはダンスやマナーを学んでいただきますので、そのつもりでいてください」

 ルーカスは立ちあがり、私の手の甲にうやうやしく口づけを落とすと、ふり返らずに部屋を出ていった。そしてルーカスと入れかわるようにして、マリーがもどってくる。

「あら、ローゼリッタ様、どうなされました?」
「ど、どうって?」
「すこし頬が赤いようですが……お風邪でも引いてしまったのでしょうか?」

 マリーの言葉に、びくりと体が反応した。すへてをふり払うように、大きく首をふる。

「大丈夫! なんでもないから!」
「そうでしょうか。お医者様お呼びしましょうか?」
「いい! お願いだからやめて!」

 私の必死の願いを、マリーは聞きとどけてくれた。

 ……あの人、あんな風にも、笑えたんだ。

 あの控えめなほほ笑みではない、笑顔。すぐ間近で見てしまって、心臓がざわめいたなど、誰にも言えない。ましてや医者なんて呼ばれて健康体であるとバレてしまえば、マリーに追求されてしまうかもしれない。
 私はルーカスの笑顔を心の中のクレヨンで真っ黒く塗りつぶし、二度と思い出さないように鍵をかけた。

「ローゼリッタ様、明日からダンスレッスンだとうかがっております。本日は、ごゆっくりとお休みください」
「……うん、ありがとう。そうさせてもらうね」

 深く長い息を吐きだして、私は冷めてしまったラベンダーティーをゆっくりと口にふくんだ。

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