第1話

「エリザベート様、エリザベートさまぁ!」

 けたたましいノックの音に、私は書いていた手を止める。
 一度ドアのほうを見つめ、ドアがガタガタと派手にゆれているのを見て、急いで日記に鍵をかけ、さらに厳重に鍵つきの引き出しの奥へと放りこむ。
 あんなにドアがゆれるなんて、なんて力で叩いているんだ。そのうち私の部屋のドアは破壊されてしまうかもしれない。
 心の中で冷や汗をかきつつ引き出しにしっかりと鍵をかけ、私はようやくうるさく鳴り続けるドアへと近づいた。

「もぅ、朝から騒々しい。静かにしてくださいな」

 ドアをあけると、そこには紺地のワンピースに真っ白のエプロンを身につけた黒髪の女がひとり、冷めた目で私を見ていた。

「エリザベート様、ようやく起きてくださったんですね。朝食が冷めます」

 そう言って、私付きの専属侍女、カーシスは、朝食の乗ったワゴンを押して部屋の中へと入ってくる。
 本当はとっくに起きていたけれど、朝早くからもったりした濃い食事をするのが嫌だったのだ。しかし、よけいなことは言わなくてもいい。カーシスと口論になるのは面倒なのだ。カーシスの口はよく回るので、勝負になったら最後、必ず負けてしまう。

「エリザベート様は毎朝寝起きが悪すぎます。毎日毎日、エリザベート様は食べるのが遅いと、シェフが心配していますよ」

 そりゃ、自分のクビがかかっているんだ。心配もするだろう。私がひとこと「食事がマズイから食べられない」と言ったら、次の日には違うシェフが来るのだから。
 そんな日々おびえるシェフのクビが飛ばないようにするためにも、私はすべての食事を完食しなくてはならない。
 だからこそ、少しでも腹を空かせておきたいのだ。

 カーシスはワゴンに乗っている魚と野菜を和えたサラダに、子羊の肉を使ったステーキ。さらには、トマトとチーズのカプレーゼ、スクランブルエッグに、焼きたてのパンに、芋の冷製スープを並べる。
 まったく、シェフたちは朝らから張り切りすぎだ。よくもまあ、こんなに食べられると思ったもんだ。私はそんなに大食いに見えるか。
 いや食べるのは好きだが、年ごろの乙女は体型が気になるのだ。人々が崇め奉る英雄の一族に生まれていようと、私は人だ。食べすぎたら太るのは当然である。

 私は心の奥底でため息をつきつつ、顔には笑顔をはりつかせる。

「まあ、それは申しわけないことをしました。カーシス、シェフたちにあやまっておいてくださいな」
「ご自分でお伝えになられたらどうです? シェフは驚かれると思いますよ」
「もう、そんなことしたら怪しまれるでしょう? お体が悪いのですかー、だとか、頭の調子が悪いのですかー、とか」

 頭の調子が悪いんですか、なんて言われたら殴ってしまうかもしれない。そんなことをしたら、完全にシェフはクビだ、クビ。
 私の行動は、ひとつひとつが重すぎるのだ。

「まあ、それは否定できませんね。ほかの英雄の方々は、私たちのこと、人とも思っておりませんので」

 カーシスは語尾に力をこめ、憎らしそうにそう口にした。私の胸が、チクリと痛む。

「それは、同じ血が流れてるものとして、申しわけないと思っているのよ?」

 次々と並べられていく豪勢な食事を目で追いながら、私はカーシスに謝罪をする。
 カーシスは食事を並べ終えると、私を見つめ、朝のやわらかな木漏れ日のようにほほ笑んだ。

「エリザベート様は、変わっておりますからねぇ」
「さぁ、自分ではよくわらないの」
「あなたのほかに、どこに泥だらけの女を拾う英雄がいるんですか」
「あら懐かしい。カーシスもずいぶん変わったと、私は思うけれど」

 口を尖らせるカーシスに笑顔でそう返す。
 昔はボロボロの服を着て、靴すらも身につけていなかったというのに、今や立派な侍女だ。
 いや、変わったのは上辺だけで、中身はあまり変わっていないかもしれないけれど。

 私は豪勢な食事を前に静かに目をとじ、礼をした。

 この世で一般の者たちがする、食事の作法だ。与えられるものに感謝を、という意味があるのだと、カーシスが言っていた。
 私はそれを知ってからというもの、こうしてひとりの食事のときは積極的におこなうようにしている。バチが当たらないようにという、私なりの配慮だ。

 私は世界から王と崇められる、英雄の一族に生まれた。

 エリザベート・スフィリアム。

 その名を口にするだけで、人々はみなひれ伏す。なにがそんなに偉いのか、私はくわしくは知らない。ただ、この世には昔、魔が存在したと言われている。
 そして先祖たちは、平和な世界を願って、この世を作った。

 英雄さまと崇められ、世界の頂点に立つ。
 人々を守る英雄たちに、この世の者たちは自らひれ伏した。

 だが、時は移ろいゆくものだ。

 今や、『魔』がいったいなんであったのか、その正体を知る者は少ない。
 英雄の末裔である、私も知らないのだ。
 それを知るのは、騎士団上層部と、その騎士団をまとめあげる『ホーリーナイト』という組織だろうと、私は踏んでいる。

 いや、もしかしたら。

 この世に魔がなんであったのか知る者は、もうひとりもいないのかもしれない――。

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